――五月。
前月末からずらりと連続して続く祝日群によって、その月初は一般にゴールデン・ウィークと称されている。もちろんごく普通の男子高校生である河野貴明が通う私立東鳩高等学校も、この期間中は一週間以上に渡る長期休暇へと入るのが通例である。
そんなわけで、そのゴールデン・ウィーク四日目の昼下がり、貴明の姿は地元・東鳩市から四百キロメートル以上も離れた山間の観光地、隆山温泉郷にあった。今しも、三時間以上揺られた急行列車から駅のホームへ降り立ったところである。緑色のプリントTシャツにベスト、ストーンウォッシュのジーンズというごく軽装だった。
「うっ。……ふあっ」
貴明は腰に手をやって、身体を思い切り伸ばした。全身の関節からぽきぽき音がする。自由席の座席の形に、すっかり身体が固まってしまっていたからである。
「ううう。やっぱり在来線で三時間は辛いなー」
と、なかなか動き出さない貴明に声がかかった。
「もうー。タカくぅーん。何してるのー。早く早くぅ!」
改札口へと向かう階段のところで元気よく手を振っているのは柚原このみだった。貴明の家の隣に住む、一歳年下になる幼馴染の娘である。今回の旅行における同行者であるこのみはいつもこんな風に元気一杯なのだった。白と青が縞になったチューブトップにクリーム色のキュロットの上下は春の、というよりすでに夏の装いである。実年齢より幼い風貌をしているので、はしゃいでいると、いよいよ子供っぽく見える。
「このみの言う通りよ、タカ坊。早くいらっしゃいな」
このみの横で優雅に微笑んでいる向坂環もまた貴明の同行者である。貴明よりひとつ年上の環はこのみとは逆に、実際よりずっと年かさに見える。落ち着いた物腰は女子大生――いや、ひょっとしたら社会人と取れなくもない。癖のない美しい髪を腰近くまで垂らした、楚々とした美人である。フェミニンなデザインのブラウスにタイトな黒のジーンズという組み合わせが一見ラフなようでいて、その実かっちりと決まっている。いわゆる“可愛い”系のこのみと並んで立つと、好対照だ。
「いや、早くって言ったってさ」
貴明は情けなく眉尻を落とすと、へなへなとうなだれた。彼は両の手と肩とに、大き目のトラベルバッグをそれぞれ一つずつ提げていた。背中にバックパックも背負っていることを考えると、一泊二日の小旅行にしてはえらく重装備である。
「何で俺がタマ姉とこのみの荷物まで運ばないといけないんだよ? これじゃ早く動けるわけないって」
貴明は至極当然の不平を口にした。そう、貴明が抱えていた両手の荷物は環とこのみのものだったのだ。
しかし、貴明の元へ戻ってきた環は両腕を胸の前で組んで――当然だ。彼女は荷物をみんな貴明に押し付けて、手ぶらなのだから――さも不満そうに左の目を細めるだけだった。
「なァに? それじゃ、タカ坊はこのみみたいなか弱い女の子に重たい荷物を運べって言うの? もう。男の子でしょ」
身長が百六十五センチある環がヒールのあるパンプスを履いていると、男の貴明でも少々見下される感じになる。組まれた両腕の上で嵩を強調されたFカップの迫力が加われば、なおさらだ。
「い、いや、そーじゃなくてだな……」
貴明はやや及び腰になりつつも、何とか反論しようとした。
しかし、
「ソウもミンもズイもないわ。今回の旅行には雄二が居ないんだから、男手はタカ坊一人だけなのよ。そのタカ坊がしっかりしなくてどうするの!」
たちまちのうちに、環に言い立てられてしまう。
ちなみに、雄二とは貴明と同い年になる環の弟である。貴明にとっては昔から仲のいい幼馴染で、今も学校で同じクラスになったりしている。そもそも今回の小旅行は当初、雄二も含めて仲のいい四人が参加するものとして企画されたはずなのだ。
だが、その雄二は早々と不参加を表明していた。表向きは助っ人を頼まれた陸上部の練習に参加するためということになっている。
しかし、雄二は貴明にだけそっと耳打ちしていた。
『俺も姉貴やこのみのせいで、馬に蹴られて死にたくないからな。ま、お前らだけでせいぜい楽しんでこい』
『なッ!? ゆ、ゆゆ雄二、お、おお前、いったい何を言ってんだよっ!? う、馬に蹴られるってどーゆー……』
貴明はひどく困惑し、必死に弁明しようとした。
が、その努力はすべて徒労だった。なぜなら雄二はすべての事情を知悉していたからである。
つい一週間ほど前、貴明はそれまでただの幼馴染だと思っていたこのみと環の二人に、揃って「好き」と告白されていた。そして、青天の霹靂だった貴明は二人に明確な答えを返すことができなかった。その結果、三人の間には奇妙な協定が結ばれることとなったのだ。貴明がはっきりした結論を出すまで、環とこのみの二人で貴明を“共有”するという約束である。男一人に女二人という、何とも変則的なカップルが誕生した瞬間だった。
もっとも恋のライバルであるはずの環とこのみの二人は今のところ、なぜか仲良く貴明のことを弄って遊ぶことに喜びを見出している様子である。修羅場を演じるというより、三人一緒に楽しく過ごすことの方が多い。この連休の初日にも、三人で遊園地に出かけたりくらいだ。要するに、雄二は自分の姉とこのみとが貴明と三人でいちゃいちゃするのを見ちゃいられないと逃げ出したのである。
かくして、貴明は自分に懸想する女性二人を連れた、一種のハーレム旅行へやって来たはずなのだが……。
「タカくん? このみ、やっぱり自分の荷物は持とうか?」
ちょこちょこと駆け戻ってきたこのみが貴明の顔を覗き込んだ。
「ダメよ、このみ。タカ坊を甘やかしちゃ。タカ坊は男の子なんだから、このくらいの荷物でへこたれてるようじゃ、わたしたちをエスコートなんてできないでしょ」
そんなこのみを遮って、環は断固自説を押し通すつもりであるらしい。
ハーレムどころか、これでは単なる荷物運びの人夫である。日頃は決して押しの強くない貴明としても、この場面ではさすがに黙って環の意見を受け入れるわけにいかなかった。
「両手が荷物でふさがってちゃ、エスコートどころの話じゃないよ。重量のあるものは仕方ないとして、応分の荷物は自分でどうにかして欲しいな」
珍しく自分の意見をはっきりと言う。
「それはそうだけど……」
貴明の正論に、ふだん何事につけ強気な環の方も、らしくなく言い淀んだ。
と、
「はい、タカくん。それ、貸して」
環がまごついている間に、このみが率先して行動した。貴明の肩にかかっていたバッグをやや強引に奪う。
「それじゃ、タマお姉ちゃんはこれね」
このみは貴明から取ったバッグを環に渡すと、もうひとつのバッグを自分の右手に提げた。
「このバッグはわたしが持つけど、残りはタカくんでいい?」
小動物みたいにこくりと首をかしげるこのみに、貴明は苦笑した。
「ああ。右の方は結構重いから、俺が持つよ」
「何だかすっかりこのみに仕切られちゃってるわね」
苦笑は環へも伝染している。
「さあ! それじゃ、宿に向けてしゅっぱーつ!」
このみが元気に、空いている左手を高く振り上げた。
かくして、三人は改札口のある駅舎の方へと歩き始めたのだった。