崩 壊

- collapse -

血と涙の贖いをもって墓標とせよ。

--- サディア・マグラタッド“運命の里標”より
 しぴっ!
 細い紅の尾を引いて、テオンの頬に傷が走った。
 黒いローブを怪鳥のように広げて、アラムが襲いかかってくる。
「死ねっ! テオン」
「じゃかあしいっ!」
 転瞬。
 ごッ!
 鈍い音を立てて、ブロードソードを握ったテオンの拳がアラムの頬に食い込んだ。
「げはッ!」
 アラムが表情の下半分を鼻血の朱に染めて、石造りの床に叩きつけられた。
「な……な、なん、な……」
 ぺたんと座り込んだままで己れの状況が信じられない様子のアラムを見おろして、テオンは啖呵を切った。
「俺ァ本気で怒ったぞ、アラム。か弱い女の子をいたぶって愉しみやがって。あのデカブツを片付けたらもっ発ぶん殴ってやっから、そこで待ってろ!」
 言いたいことだけ言うと、テオンは再度渇砂龍へ突進していった。
 残されたアラムは呆然とそんなテオンを見送っただけだった。
*
「ちいっ! 役立たずの坊ちゃんだねっ」
 アラムの失態を目にしたロオナがテオンの後を追おうと身を翻した。
 と。
 ばしィッ!
 その足元で雷サージが弾けた。
 足元を取られたロオナがたたらを踏む。
「だっ、誰だいっ!?」
「そんなもの、あたしに決まってるでしょ、オバサン」
 振り返ったロオナが見たのは、脇腹の傷口を押さえながらよろよろと立ち上がった女魔法戦士メイエの姿だった。
「誰がオバサンだよ。死に損ないの小娘の分際で!」
「いい加減娘って歳でもないあたしが“小娘”だってんだから、やっぱりあなたはオバサンでしょ?」
「う、うるさいわねっ!」
 口で言い負けたロオナがどこからともなく呪符の束を取り出した。
「そのこしゃまくれた口を二度と利けなくしてやるよっ!」
 ロオナの指を離れた呪符が奇怪な妖獣へと変化する。
 しかし、メイエは動じなかった。
 瞑目結印した彼女は持てる呪力すべてを一気に解放した。
「雷精よっ! 破邪の矢となりて、闇を胎蔵したるものを撃て!」
 おびただしい数の光の矢が疾った。
 呪獣たちがたちまち燃え上がり、その囲みを突破した幾本かが防御結界すら破ってロオナの身体を直撃した。
「ぎゃあっ!」
 短い叫び声を上げて、ロオナは白い肢体をくねらせながら床に倒れ伏した。
「やっ……た……」
 しかし、次の瞬間、勝者であるはずのメイエも青白い顔のままばったりと倒れていた。
*
 びゅわッ!
 首を丸ごと持っていかれそうな勢いで、龍の尾が迫った。
「たはっ!」
 テオンは頭頂部の髪の毛を何本か持っていかれながら、かろうじてこの一撃を避けた。
 腰に水平に構えたブロードソードへ全体重を預けて、龍の腹へと突きかかってゆく。
 しかし、それでも渇砂龍の刺状の鱗はテオンの刃を弾き返した。
「っのやろお。丈夫にも程ってもんがあんだよ!」
 雑言を吐き散らしながら、突撃の勢いを殺さず、一気に龍の脇を駆け抜けようとする。
 視界に、例の法体石柱が迫った。
「よおしッ! もらったァ!」
 テオンが石柱上の石球を打ち割ろうとブロードソードを振り上げた瞬間!
 ざしッ!
 背筋によろわれたテオンの背中を、龍の鋭利な爪がざっくりとえぐった。
 マントが裂け、右肩甲骨から左脇腹に向かって走った三本の傷からおびただしい血がほとばしった。
「ぐがっ!」
 テオンはたまらず法体石柱の横をそのまま駆け抜け、背中を丸めて床に転がった。
 テオンの手を離れたブロードソードが床で跳ねて、派手な音を立てた。
「ぐおおおぉぉぉ……」
 低くうめくテオンの身体の下に、鮮血の染みがたちまちのうちに面積を広げてゆく。
「なるほど。結界法体を破壊しようとしたのか。それは残念だったな」
 渇砂龍がまたしても不遜に笑った。
 テオンの血を吸った前肢の爪がぐっしょりと濡れている。
「……まだ、残念なんて言うなよな。勝負はついてねーぜ」
 それでも、テオンは素早く起き上がった。
 龍の目を睨む。
 しかし、肩の腱でも痛めたらしく、彼は右腕を左腕で抱えるようにしていた。
 呼吸が荒い。
 徒手空拳で、しかも問題の法体石柱とは二・五リラーイ(四・三メートル)近く離れてしまっている。
 さしものテオンも、今まさに命運尽きたように見えた。
「減らず口を叩くのはいいが、この状況でいったいどうしようというのだ?」
 勝者の奢りを口調の端々に匂わせて、龍がいやらしく尋ねた。
「それはな……」
 ゆっくり答えながら、テオンは視線を龍の顔から眼前の法体石柱へと向けた。
 石柱の上では、直径二リック(四十三センチ)の赤褐色の球が細かく振動していた。それは石柱の頂部平面から半リック(約十一センチ)ほど上の空中に浮かんでいる。
「こうすんだよっ!」
 突如、半歩ステップバックしたテオンが左足を大きく引いた。
 その足の甲には、いつの間にか握り拳ほどの大きさの石の塊が乗っていた。
 崩れた法体石柱のかけらである。
 次の瞬間、それはたわみ切ったテオンの脚部に蓄えられたエネルギーによって強烈な加速度を与えられていた。
「いけえッ!」
 満身の力を込めて蹴り出す。
 石塊が宙を疾った。
「なんだとっ!」
 渇砂龍が目を見開いた。
 ……かッ!
 石塊が石球に衝突する音は不思議に“月蝕の塔”全体に響き渡った。
 そして……。
 そして、石球が割れた。
 それは剃刀を入れたように、真ん中からまっぷたつになった。
 スローモーションのごとく、それが床に落ちた。
 法体石柱の下に描かれた法円が光った。
 魔法光が連鎖的に魔法陣の間を走った。
 石造りの床が一面、光の絨毯に覆われた。
 転瞬。
 光が爆発した。
*
 そのとき、もしも“月蝕の塔”を遠くから望む者が存在していたならば、彼、もしくは彼女は一生涯忘れることのできない出来事を目にすることができただろう。
 その現象はおびただしい量の精霊光の爆発として要約できた。
 その瞬間、地上に太陽が舞い降りたように“月蝕の塔”頂部が光を帯びたのだ。
 まさに、直視に耐えられない閃光だった。
 しかも、それはいっさいの熱を伴っていなかった。
 純粋に魔法的な力が光り輝き、数百年の時の流れに耐えた塔の壁を打った。
 石造りの塔が波を受けた砂上の楼閣のごとく雪崩を打って崩壊した。
 そして、それはいっさい無音のうちに行われた。
 たちまちのうちに、“月蝕の塔”最上部一階層分の構造が失われた。
 圧倒的な力の暴走の前に、“月蝕の塔”全体が大きく震えた。
*
 崩壊は一瞬のことだった。
 気がついたとき、テオンは暴力的な力にもみくちゃにされ、空中に放り出されていた。
 再度気がついたときには、絶対に自分は死んだのだと思った。
 しかし、事実は違っていた。
 激しい全身の痛みが、自分の置かれた現在の状況を彼に認識させた。
「あ痛ェ。くっそ〜〜っ。傷がこんなに痛ェなら、いっそひと思いにおっ死んじまった方がよっぽど楽だぞ」
 テオンがぶちぶち愚痴りながら、岩と岩との間に挟まっていた身体を起こした。
 隙間はまさにテオンの身体を納めるのにちょうどの大きさしかなかった。ちょっとしたベッドほどの大きさの岩の間でぺしゃんこにされずに済んだのはまさに奇跡と呼んでいいだろう。
「とわー。こりゃ……」
 岩の上に立ち上がったテオンはちょっとした感動を味わった。
 周囲は見渡す限りの瓦礫の山だった。
 どうやら彼が立っているのはついさっきまで戦っていた階層の一つ下であるらしい。
 石造りの床が丸ごと一階層下のここに崩落していた。“足の踏み場もない”という形容そのものである。
 しかし、テオンにはこの混乱の極致の中から探し出さなければならないものがあった。
 彼は叫んだ。
「おーい、メイエぇ。生きてたら、返事しろーい」
 瓦礫の上を移動してゆく。
 その彼の視界の端を、きらめく輝点がよぎった。
 慌てて視線を戻す。
 それはメイエがいつも腰に佩いていた細剣に填められた宝玉の輝きだった。
「メイエ!」
 彼は石と砂の山から生えた細剣に駆け寄った。
 礫石に埋もれた人影を掘り出し、外へ引きづり出す。
 紙のような顔色ながら、メイエは確かに呼吸していた。
「メイエ! このオタンコナス! 目を覚ませ!」
 テオンはぐったりしたメイエの身体を膝の上に抱え上げ、砂とほこりと血に汚れた頬をぺちぺち叩いた。
「このやろーっ。目ェ覚ませってゆってんだろうが! いい加減にしねーと、俺ァ怒るぞ!」
 焦燥と、そしてありうべからざる絶望にさいなまれて、テオンが瞳を潤ませたとき。
「ちょっと。痛いじゃない。レディの顔は宝なのよ。もっと大切に扱いなさいってば」
 メイエがぽかりと目を開いた。
 その頬に、大きな滴が一つ落ちた。
 驚いて、メイエがテオンの顔を見上げた。
「やだ。ひょっとして、泣いてんの?」
「うるせい、このタコ娘が。死にそうになってるくせに、しっかり減らず口叩きやがって」
 テオンは思わずメイエの細い肢体をぎゅっと抱き締めた。
「ちょ、ちょっと! は、離しなさいよ、このドすけべ」
 真っ赤になって口ではそんなことを言いながら、メイエは自分を包み込んでくれるテオンの存在を嬉しく感じていた。
 一通り激情が通り過ぎるのを待って、メイエが言った。
「ねえテオン、あなたが感動したのはよくわかったから。本当にもう許して。あたしたち、テルナ姫を探さなきゃ」
「ああ、そうか」
 その言葉に、テオンはようやくメイエを解放した。
 傷ついた身体をお互いに助け合うようにして、瓦礫の上に立ち上がる。
 改めて辺りの惨状を目にしたメイエが感想を述べた。
「あちゃー。それにしても、派手にやらかしたもんね」
「元はと言やァおまいさんが言い出した作戦のせいだろーが」
「あの時はほかにどうしようもなかったでしょっ。それより、お姫さまは無事かしら」
「もしもテルナに万が一のことがあったら、おまいのせいだかんな」
「その言い草はなによっ!」
 テオンとメイエがまた性懲りもなく舌戦を繰り広げようとしたとき。
 ごそりっ。
 すぐ傍らで、瓦礫の崩れる音がした。
 二人は弾かれたように音の方向を振り返った。
 そこには、崩落を免れた石壁が残っていた。
 見事な細工の獅子頭の浮き彫りが顎を開いている。
 その獅子の浮き彫りから一リラーイ(一・七メートル)ほど離れた壁が崩れ始めていた。
 壁石一個分の穴がみるみるうちに人がくぐれるほどの大きさになる。
 やがて、そこから人影が現れた。
 テオンとメイエの二人が同時に驚きの声を上げた。
「テルナ!」
「お姫さま!」
 二人の姿を見つけたテルナも表情を喜色に輝かせた。
「テオン! やはり助けに来てくれたのですね」
 駆け寄って抱きつこうとして、テルナはテオンの両腕がメイエの身体を支えていることに気づいた。
 立ち止まる。
「あ……」
 表情に浮かんだであろう落胆を隠そうとして、テルナは大慌てで話題を変えた。
「ふ、二人ともひどい怪我のようですけれど、大丈夫ですか?」
「なあに。大した傷じゃねーよ。それより、テルナこそ怪我はないか?」
「ええ、おかげでわたしはなんとも……」
 テルナがここまで言ったとき、三人の背後で再度瓦礫の崩れる音がした。
 振り返った三人は見た。
 すぐ目の前に、渇砂龍の顎が開いているのを。


前へ もくじへ 次へ