一 撃

- hit -

死んでもいいと思え。そうすれば、生きられる。

--- アリーナ・ラ・テュベーン“生死を越えて”より
 渇砂龍の動きが停まった。
「やべえっ! またブレスを吐くぞ!」
 テオンがメイエの腰にタックルした。
 二人はひとかたまりになってごろごろ物陰へと転がり込んだ。
「ちょっと。あたしのお尻に触んないでよ」
「いいから、頭を下げてろ!」
 テオンがメイエの頭を押し下げた瞬間!
 灼熱の熱風が二人の髪をちりちりと灼いた。
「おいしい丸焼きになりたくなかったら、じっとしてろ」
「偉そーなこと言いながら、わたしのお尻に触んないでってーのっ!」
 ぶんむくれているメイエを放っておいて、テオンは一人ごちた。
「くそー。何が悲しゅーて、こんな口うるさい女と二人であんな化け物に立ち向かう羽目になっちまったんだ?」
「あんたが要らないすけべ心出すからでしょっ!」
 叫びざまメイエが立ち上がり、渇砂龍に向き直った。
 結印した掌をどん! と巨大な敵へと突きつける。
「天と地と闇と光の精霊よ! 古き“赤き契約”に因りて、我(あれ)は汝(なれ)に命ず。汝が我が牙爪とならんことを!」
 神聖語の呪唱に呼応して、周囲の精霊力が雷光と化し、渇砂龍を打った。
 さらにそれを援護にして、テオンが物陰から飛び出した。
 姿勢を低く保ったまま、一気に渇砂龍へと突撃肉薄する。
 それを迎え撃たんと、龍の太い尾が振られた。
 びゅおッ!
 首を吹き飛ばされそうな一撃を避ける。
 その捨て身の突進のお陰で、テオンは一気に敵の懐深く侵入することに成功した。
「んならがーっ!」
 意味不明の叫び声を上げながら、大きく振りかぶったブロードソードの刃を渾身の力とともに敵の脚へと叩きつける。
 しかし。
 ぎぃぃんっ!
 その必殺の一撃は鋼に似た鱗にいともたやすく弾き返された。
 そして、渇砂龍はメイエの魔法攻撃にもびくともしていなかった。
 むしろ、巨大な暴龍は雷撃に怒りを一層かき立てられたように見えた。
「だめだわ。まるで刃が立たない!」
 珍しく弱音を口にしながら、メイエが再びしゃがみ込んだ。
 盾にしていた物陰……結界の四囲を抑える法体である石のモニュメントに身を隠す。
「周囲の呪場がまるでめちゃめちゃよ。ただでさえ気違いじみた精霊力の嵐だってのに、それをあいつの並外れた魔力が一層乱してる」
「そんじゃ、どーしろっつーんだよっ!?」
 渇砂龍の爪と尻尾の連続攻撃をかわして“戦術的撤退”してきたテオンが尋ねた。
 メイエと同じ物陰へ滑り込んで来たときに擦りむいた肘の傷を舐めている。
「そんなこと、わたしに訊かれたってわかんないわよっ!」
 メイエが叫んだとき。
 ひゅっ!
 風切り音とともに、メイエのマントの肩口がすっぱりと裂けた。
 丸く白い肩がのぞき、赤い血がしぶいた。
「あッ!」
「おやおや。さっきまでの威勢はどうした?」
 振り返ったメイエの目の前に、義手の鋭利な爪をわきわき蠢かせながらにたにた笑うアラム・ゼルベガーの姿があった。
「メイエっ!」
 相棒のピンチに、テオンが立ち上がろうとした。
 しかし、左腿に走った突然の激痛に立ちすくんでしまう。
 彼の左脚には、さっきまでの雑魚……鮫の頭を持った虎の怪物ががっぷりと咬みついていた。
「何しやがんだよ、このタコ!」
「うふふ。今度はわたしの相手がしてほしいわ。色男さん」
 その鮫虎を操るロオナが艶っぽい笑顔を見せた。
「ずたずたに斬り刻んであげるから、それまではせいぜいわたしを愉しませてちょうだい」
*
 三対二の戦いに、さしものメイエ・テオンの二人もたちまちのうちに危機に立たされた。
 龍の巨体へと近づけば灼熱のお出迎えがあり、引けば魔法使い二人組に近接戦闘を挑まれるのである。
 塔最上部に到達する前にかなり力を消耗していた二人にとって、敵のこの間断のない攻撃は地獄の責め苦にも似ていた。
*
「メイエ〜〜〜っ。まだ生きてるかァ?」
 追加で屠った鮫虎の数を三十二まで数えたところで、テオンは久しぶりにゆっくり呼吸できる一瞬を得た。
 肺腑に得られるだけの空気を送り込みながら、背中合わせに座り込んでいるはずの相棒に声をかける。
 しかし、期待したいつもの毒舌は返ってこなかった。
「……メイエ?」
 振り返ったテオンは女魔法戦士の横顔がまるで紙のごとく真っ青であることに気づいた。
 肩を掴むと、身体が力なくぐらりと傾き、腕の中へと倒れ込んでくる。
 メイエは重傷を負っていた。
 右脇腹から腰にかけて大きな裂傷があり、そこから溢れ出した鮮血がむき出しの形の良い腿を斑に染めている。それははらわたがはみ出してこないのが不思議なくらいの深手だった。
「おいっ! こらっ! しっかりしろ、このオタンコナス! 勝手に先に死ぬんじゃねーっ!」
 強く揺さぶると、ようやくメイエの瞳に意志の光が宿った。
「……誰が勝手に死ぬですって?」
 言葉に、いつもの勢いがない。
 テオンは突如、己れの魂の半分を失うような戦慄を覚えた。
「おまいさんだよ。くっそー。アラムの奴。これでもメイエはか弱い女の子だぞ。ちったァ手加減しろってんだ」
「“これでも”って限定条件は何よ? あたしが女の子だってことを忘れてたんじゃないでしょーね?」
 苦しい息の下から、メイエが微笑んでみせた。
 虚勢ではあるが、それは苦境に負けてしまわないために渾身の力を振り絞って作ったとわかる笑みだった。
 そして、それはこんな状況下でなければ、思わず見とれてしまうような可憐な笑顔だった。
「な……何をばかなこと言ってんだよ」
 場違いに心臓がどきどきするのを覚えて、テオンは慌ててメイエの笑顔から視線を外した。
 彼女をこんな状況に追い込んでしまった自分に、無性に腹が立った。
「……くそ」
 口の中で小さく呟いて、話題を変える。
「それより、マジで状況をどーにかしねーと、二人枕を並べて討ち死にだぜ。枕並べて布団の中でイイコトするのならともかく、討ち死にはごめんだからな」
「……どうにかなりそう?」
 メイエの問いに、テオンはぎくりとした。
 日頃のメイエは決してそんな気弱な口調で話す娘ではなかったからである。
「どうにかなるんじゃない。どーにかするんだよっ!」
 叫ぶように言って、テオンは背を伸ばし、敵の様子を窺った。
 二人が隠れていたのはホール状になった広い儀場の片隅にある石の堆積の陰だった。
 元は結界を支える法体として作られた石柱の陰である。石柱は現在は崩壊し、その機能を失っている。
 広い儀場のそこここに、似たような石の柱が何本も林立していた。
 円柱や円錐台、球や立方体を組み合わせた、魔法の素養のないテオンにはまるでわけのわからないオブジェの群れである。
 しかし、そのオブジェの三分の一は割れたり、倒れたりしていて、素人目にも結界法体としての機能を失っていることがわかった。
 そして、そのオブジェの上空を蛍のごとく、あるいは怪鳥のごとく光の玉が舞っていた。時折、猛禽の鳴き声にも似た奇妙な音を発している。
 結界の制御を失って暴走する精霊たちである。
 その数は当初テオンたちがこの場所に脚を踏み入れたときに比べて増えているように思えた。
「ロドースのばかたれがブレスでまだ機能していた石柱を破壊しちまったせいだな」
「なんのこと?」
 テオンの呟きに、メイエが身じろぎした。
 テオンはメイエを助けて、彼女にも様子が見えるようにしてやった。
「飛び回ってる雷球のことさ。見てみな。ずいぶん数が増えてるだろう?」
 メイエの意見を待つ。
 だが、テオンの期待した返答はなかった。
 メイエは一心に周囲の様子を……床に描かれた紋様と石柱の配置とを観察していた。
「……メイエ?」
「見つけたわ」
 何の脈絡もないメイエの言葉に、テオンは疑問符をいっぺんに三つくらい頭の上に浮かべた。
「見つけたって、何を?」
「“どーにかする”方法を、よ」
 言いながら、メイエは再度ブレスを吐こうと動きを停めている渇砂龍の背後を指さした。
「あれを見て」
 闇と明るい領域との境に、石柱があった。
 今、二人が身を隠しているのと同じような円錐台形の石の塊である。高さは半リラーイ(八十六センチ)ほどだろうか。円錐形の頂点を水平に切り落とした部分に、色の違った球が置かれている。
「あれがどーかしたのか?」
 わけわかめのテオンに、メイエが説明した。
「石柱がいくつか破壊された関係で、この部屋全体の結界の形が最初と変わってるのよ。階層構造になった結界‐法体系の最上位があそこに偏移してきているの。そして、あの法体石柱自体の呪容量はとてもこの部屋全体の結界を支えられるほど大きくないのよ」
 言われてみれば、確かに件の石柱は様子がおかしかった。
 雷球がそれを中心として円を描きながら飛び交っている。
 そして、よく見ると石柱上の赤褐色の球は細かく振動していた。一抱えほどありそうなそれは石柱の表面から浮かび上がっているようにも見える。
「要するに、どーゆーことなんだ?」
「つまり、呪的に不安定になっているあの石球を破壊すれば、法体を失った結界全体が自己崩壊するのよ」
「自己崩壊って?」
「あーっ、もうっ。物わかりの悪い人ねっ」
 メイエはテオンの目の前に握り拳を示し、その上に親指を立てて見せた。
「分かり易くゆーと、結界の物理的基盤になってるこの部屋全体が」
 手首をくるりと返して、指を下に向ける。
「どぼんってなるの」
 テオンの表情に、ようやく会心の笑みが浮かんだ。
「了解了解。この部屋ごと、敵さんを地獄にご招待しようってわけだ。どうせこのままでもジリ貧になるだけだからな。それに賭けてみようぜ」
「たぶんこれが最後のチャンスよ。もしもだめだったら、わたしたちはあの渇砂龍を倒せないわ」
 メイエらしくない気弱な発言を、テオンは笑い飛ばした。
「試してもいないうちから結果を出そうとするなよ。こうなりゃ、やれるだけのことをやってみるだけさ」
 ウインクしてみせる。
「無事にあのデカブツをぶっ倒せたら、デートしような」
「ぶっ倒せたら、ね」
 メイエの表情にも、ようやく笑みが戻った。
「よーしっ。今の、約束だかんな。忘れんなよっ!」
 叫ぶと同時に、テオンは龍のブレスを避けて一気に物陰から走り出た。
「あなたこそ、変な約束に気取られて、ミスんないでよっ!」
 メイエが払底寸前の体力と魔力を振り絞って、呪矢を放つ。
 二人の最後の反撃の幕が切って落とされた。


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