黒 幕

- fixer -

敵は汝の影の中にあり。

--- ノマ・ファーレン・テーツェイ“掟のための掟”より
「……一つ、聞いていいか?」
 どうしたことか、テオンが下手に出た。
「何よ?」
 メイエのそっけなさはいつものことだが、それにしても台詞に勢いがない。
 テオンが言った。
「さっきぶった斬ったハサミ四つ持ったカニで二百二十一匹目の獲物だと思ったんだが、数え間違えてるかな?」
 メイエが答えた。
「そんなこと知らないわよ。自分がやっつけたのがさっきの大ナメクジで百九十四匹目だってのは覚えてるけど」
 無限のバイタリティを持つとも思われた二人にも、さすがに疲れの色が見えた。いかにテオンとメイエと言えど、孤立無縁の敵陣の真ん中を突破するには並々ならぬ力の浪費があったのだ。
 しかし、その甲斐あって、二人の目の前には今、“月蝕の塔”最上階へと通じる最後の階段が口を開けていた。
「どっちにしろ、俺の方がおまいさんより三十匹ばかり多く化け物どもを血祭りに上げてるこたー違いねーな」
「何ばか言ってんの。ほらっ、さっさと行くわよ」
 メイエがその階段に足をかけた。
 テオンがボケる。
「いやー、おまいさん元気だねェ」
「“日向で孫のお守りをしてるじーさん”してる場合じゃないでしょ。ほらっ、あんたも来るのよっ!」
「ひえー、お許しをぉ〜」
 かくして、くだらない三文芝居を演じながら、メイエとテオンの二人は物語の最終幕である“月蝕の塔”最上階へと足を踏み入れたのだった。
*
 そこは本来、最上階ではなかった。
 ノウン氏族の建築家が引いた図面によると、塔はそこからさらに上に最低でも七階層はあるはずだった。その部屋は本当の塔最上部にある“集精霊力装置”から導かれてきた魔法力を使って、さまざまな儀式を執り行うために作られた部屋だったのだ。
 床いっぱいに複雑に交錯した魔法陣がいくつも描かれ、四囲の霊的に重要な方向に守護結界を支える法体が配された儀場……。それがこの部屋の本来あるべき姿だった。
 しかし、その“本来の姿”はすでに失われていた。
 床に描かれた法陣と散在する法体はそのうちのいくつもが、悠久の時の流れとともにその姿と持つべき機能とを失っていたのある。極彩色の魔法陣からは鮮やかさが、石で作られた結界法体からは整然とした配置が失われていた。
 そして、高度に制御された精霊場であっただけに、その“たが”が緩んだそこには暴力的とでも形容すべき“力の嵐”が吹き荒れていた。もし、多少なりとも魔法の心得がある者がそこを一目でも見たならば、その場に充満する“操る者を失った魔法力”の激しさに怖気をふるったであろう。いや、魔法をまったく知らない者でも、飛び交う鬼火やラップ音の断続でその場の“非尋常さ”に気づくに違いない。
 天井が高く、ホール状になった部屋のそこここに蛍光を放つ雷球が幾つも乱舞し、悲鳴に似た奇音が響いている。
 法体として置かれた背の低い奇妙な形をした石柱群の配置とも相まって、そこには奇妙な、一種悪夢に似た雰囲気があった。
 そして、その“狂気の儀場”の真ん中に、二つの人影があった。
「よくここまで来たな」
 影の一つ……闇術師アラム・ゼルベガーが言った。
 身にまとったローブから鋼でできた右腕をのぞかせる。
 その先端で、機械仕掛けの鋭利な爪がわさわさと動いた。
「ほんと。褒めてあげてもいいわ」
 もう一つの影……ロオナ・ハシファイがあの妖艶な笑みを見せた。露出度の高い衣装からのぞく肌が屍蝋のように青白く光っている。
「それはそれは丁寧な歓迎があって、往生したよ」
 その二人に万全の注意を払いながら、テオンが顔だけはいつもの不敵な笑いを作った。いつでも抜刀できるように、背中のブロードソードに右腕をかけている。
「ったく、このテオンさまを相手にするっつーのに質は後回し、物量だけで勝負しようってんだから、たまんねーよ。今度から、お出迎えは可愛いメイドの娘だけにしといてくれ」
「あら。あなたたちに“今度”があるなんて知らなかったわ」
 しれっとした顔で言った後、ロオナはすがめた目でテオンと、その後ろに無言で控えるメイエを見た。
「で……。お宝は持って来たのかしら?」
「おう。このテオンさまは約束を必ず守る男だぜ」
 得意げに振り返ったテオンの顔を、メイエがじろりとにらみつけた。
「……あたしに命令しないでよね」
「うげ」
 機先を制されたテオンは途端に腰を低くして、タカビーな相棒に“懇願”した。
「そんじゃ、メイエさま。連中にお宝を見せてやっていただけますでしょーか」
「ったく。……ばか」
 ぷりぷり怒りながら、メイエは腰に下げていた革袋を手に取った。
 高く掲げて見せる。
「ほら、“水龍の宝珠”はここよ。約束通り、人質のテルナ姫を解放しなさい」
 しかし、闇術師たちの表情から不信の色は消えなかった。
「どうしたものかしら。それが本物かどうか確認してからでないと、こちらの手駒を手放す訳にはいかないわ」
「確認するためにそちらに渡したら、その時点で俺らを用済みってことにしちまうつもりだろーが。そもそも、お姫さまはどこだよ? 姿も見せねーで、好き勝手に話を進めんなよな」
 テオンも自分たちの立場を譲らない。
 交渉が暗礁に乗り上げかけた、ちょうどそのとき。
「女魔法戦士の持つそれが本物であると、わしが証言してもよいな」
 闇術師たちの背後から、低い声が響いた。
「そこにいるのは誰だっ!?」
 テオンの誰何の声に応えて、声の主が悠然と姿を現す。
「て、てめえは……」
「あなたは……」
 ゆったりとしたマントに身を包んだ泰然たる老貴族の姿に、テオンとメイエの二人は目を見張った。
「何しろ、あの二人が王宮の宝物殿から本物を持ち出すところをこの目で確認したのだから」
 そう言って、オル・ラハート王国暦司処尚書・公卿ロドース・エンズコーウェルは不敵に笑った。
「そうか……。てめえ、魔法使いどもにまんまと騙されやがって……」
 テオンが今にもぶっ殺しそうな目で、ロドース卿を睨みつけた。
 しかし、睨まれたロドース卿は平然としていた。
 むしろ彼はさらにテオンたちを驚かせる事実を口にした。
「勘違いしているようだな。わしは彼らに買収されたのではないぞ。わしが彼らを雇ったのだ」
「な……に?」
「その通り。『オル・ラハートの王宮から“水龍の宝珠”を奪う手助けをしてくれ』とな。余り気乗りしない仕事だったのだが、報酬が貴様の首とは思わぬ収穫だった」
 アラムの証言に、テオンは奥歯をぎりぎりと食いしばった。
「てめえ、ハナっから……。このテオンさまを騙した代償が安くつくとは思うなよ!」
「御託は要らん。それより、早く“水龍の宝珠”をよこせ」
「これだけばかにされて、『はい、そーですか』って素直に差し出す人がいると思って?」
 メイエも表情を怒色に染めている。
 余裕の笑みを見せていたロドース卿の顔から表情が消えた。
「せっかく穏便に済ませてやろうかと思ったのだが、揃いも揃って愚か者ばかりのようだな」
「愚か者だったら、どーしよーってぇんだ?」
 テオンの問いに、ロドース卿は不気味な笑みを唇の端に刻んだ。
「よこさないと言うのであれば、力づくで奪うほかあるまい!」
 その瞬間、初老の割にはがっしりした体躯のロドース卿の肉体に劇的な変化が起こった。
 テオンとメイエの二人は今日三度目の、そして最大級の驚愕を体験した。
 美髭を蓄えたロドース卿の顎がぐぅんと伸びた。
 ありうべからざる方向へ肩が捻れ、皮膚が鱗に覆われてゆく。
 膝の関節が折れ曲がって可動方向が本来と逆になり、脚が“後肢”へと変形していく。
 腹がぶくぶくと膨張し、背中に膜状の羽が姿を現す。
 後肢の間に生じた肉塊が太い尾へと成長する。
 そもそも、身体そのものが見る見るうちに巨大化してゆく。
 瞬きほどの間に、ロドース卿は身の丈二十リラーイ(三十四・四メートル)あまりの見たこともない四足生物へと変化していた。
「……渇砂龍(ライドラゴン)……」
 見上げんばかりの巨躯に呆然として、メイエがその名を口にした。
「なんだって?」
 振り返ったテオンに説明する。
「この世の魔法をしろしめす“風”“地”“火”“水”の“四元(フトウル)”のうち、“火の元素(レイキヴァトム)”に属する地上最強の精霊生物の一つよ。とうの昔に滅びたって聞いてたのに、まだ生き残りがいたなんて……」
「絶滅していなくて、残念だったな」
 ロドース卿……渇砂龍が刺状の鱗に覆われた顔を歪めた。
 どうやら笑ったつもりらしかった。
「さあ、五臓六腑を残らず灰にされる前に、“水龍の宝珠”を渡せ」
 発声器官はすっかり形が変わってしまっただろうに、渇砂龍の声はロドース卿の姿であったときそのままだった。
 しかし、その恫喝を前に、テオンのへらへら笑いはそのままだった。
 剛胆もここに極まれりである。
 彼は言った。
「俺が『さあ、渡せ』と言われて、『はい、わかりました』なんて素直に従うイイコちゃんに見えるか? 冗談じゃねえ。地上最強の生物だかなんだか知らねーが、この世で俺さまに命令できるのは俺のおかーちゃんだけだぜ」
「自分がマザコンなのを自慢してどーすんのよっ!」
 メイエが苦笑して、お約束通りのツッコミをかましたとき。
「そうか。ならば、望み通り灼き殺してやろう!」
 渇砂龍がくわっと口を開いた。
 轟っ!
 そこから灼熱の炎が吐き出された。
 テオンとメイエの二人は同時に左右二手に分かれて、これを避けた。
 二人の立っていた石床が真っ赤に灼熱した。
「そっちがそのつもりなら、しゃーない。こっちも力ずくでテルナを取り返させてもらうぜ!」
 テオンが背中からブロードソードを抜き出しながら、叫んだ。
 かくて、戦端は開かれた。


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