待 ち 伏 せ

- unbush -

破壊と殺戮の後にこそ、本当の創造がある。

--- ヴィ・クル“闇の書”より
「求めよ。光は我が内にこそ在る」
 神聖語の呪文が流れた。メイエの掌に光球が生じた。
 メイエが愛らしい唇をすぼめて掌を吹く。
 その息に煽られたように光球が宙に舞い上がって、テオンとメイエ、二人の頭上で静止した。
 青白い精霊光が周囲を照らした。どろりとした粘性すら持っていた闇がわずかに後退する。
「ホール……ってとこかな」
 周囲を一瞥したテオンが感想を述べた。
 “月蝕の塔”基部の壁に開いた穴から内部に侵入した二人が最初に足を踏み入れたのはテオンの言った通り、ちょっとしたホールだった。
 楕円形の入り口から差し込んだ月光が足元に丸い光円を描いている以外はメイエの召喚した精霊の光だけが頼りだが、それでも周囲の様子はだいたい見て取れた。
 隙間に剃刀すら差し込めないくらい精密に組まれた石敷きの床。何やら幻獣の類がレリーフされた壁。天井までは三リラーイ(五メートルちょっと)ほどだろうか。床の上にうっすらと積もったほこり以外、何もないがらんとした場所である。奥へと通じる通路が左右正面合わせて四つ……。
「可愛いメイドの娘が道案内してくれる……っつーわけでもなさそうだな」
 テオンが軽口を叩いたとき。
 ぶーん……。
 低いハム音とともに、ホール中央に光の柱が生じた。
 そのわずかな気配に、メイエが結印した掌を突きつけた。テオンは素早く肩口から覗いたブロードソードを握っている。
 光はしばしの間、不安定に瞬いていた。
 やがて、人の立ち姿へと収束する。
『“月蝕の塔”へようこそ』
 その光が成した姿……アラム・ゼルベガーが言った。
『恐れをなして、誰も来ないのではないかと思ったぞ』
 傲岸な笑みを見せるアラムの姿を一瞥して、テオンがメイエにささやいた。
「ありゃ、奴がほんとにあそこに居るわけじゃねーな」
「ええ、“遠映し身”の術ね」
 アラムの身体は石畳から一リック(約二十センチ)ほど浮かび上がっていた。それだけではなく、向こうの闇がぼんやりと透けて見えている。
「そんで、俺ら二人が来たわけなんだが、これからいったいどーすればいいのかね?」
 テオンがそのアラムの立体映像に尋ねた。
 立体映像が、まるで実際にそこにアラムが存在するように答えた。
『なに、簡単なことだ。“水龍の宝珠”をこの塔の最上階まで持ってきてもらえば良い。テルナ姫はそこで引き渡す』
 ここまで言ってから、アラムの影はにやり、と笑った。
『もっとも、塔の最上階まで達することが本当に簡単なことかどうかは保証の限りではないがな』
「ちっ。やなヤローだ」
 テオンの舌うちが聞こえたのか、アラムの映像は現れたのと同じように唐突に消えた。
「……だそーですが?」
 ブロードソードから手を離したテオンが肩の力を抜きながら、メイエを振り返った。
 印を解きながら、メイエがぶすっとした声で答えた。
「あたしに確認するまでもないでしょ。ただ前進あるのみ! よ」
 メイエはテオンを追い抜いて、塔深部の闇の中へと足を踏み入れていった。見当だけで、左から二番目の通路を選ぶ。
「おーおー。女だてらに勇ましいこって」
 その後を、魔法で召喚された光球とテオンとがへろへろと追いかけていった。
*
「……臭いわね」
 メイエの台詞に、テオンが自分の肩の辺りの匂いをくんくん嗅いだ。
「三日も風呂に入ってねーからな。せっかくの男前が台無しだ」
 メイエがテオンを振り返った。罵倒する。
「あんたのこと言ってんじゃないわよっ!」
「んなこたァわかってるって」
 テオンがすっかりおなじみになった不敵な笑みのまま、背中のブロードソードを抜刀した。前方の闇を睨みつけつつ、言う。
「ほら、男嫌いの元巫女さんが獣臭いってよ。んな暗いとこでコソコソしてねェで、いい加減に姿を見せたらどうだ?」
 テオンの呼びかけに答えるように、漆黒に塗り潰された闇に複数の鬼火が灯った。
 ……目である。ぎらぎらと紅く光る十組余りの瞳がテオンとメイエの二人を凝視していた。
 いつの間にか、背後にも回り込まれている。
「そんなに見つめんなよ。照れるじゃねーか」
 テオンが言った瞬間、闇に潜んだ幾つもの影が轟と風のうなりを上げて二人へと襲いかかった。
「やっとやる気になったか!」
 テオンが両肩の筋肉を大きくパンプアップさせて、巨大なブロードソードを振りかぶった。一気に前に出る。
 テオンの剣風と影のまとった颶風とが正面から激突した。
 ぎいぃぃんッ!
 歯の浮くような金属の衝撃音とともに、テオンの刃が停まる。
 怒涛の動が緊迫した静へと移行する。
「ほお。なかなかじゃねえか」
 テオンの唇から感嘆が漏れた。
 テオンのブロードソードを食い止めているのは虎に似た怪物だった。
 虎に似て虎にあらざる証拠はその頭である。そいつの頭は猫科の動物にしては、尖り過ぎていた。色も妙に青い。
 別に似たものを探すとすると、それは陸上の動物ですらなかろう。そう、怪物は虎の身体に鮫の頭を持っていたのである。刃物ですぱっと切り裂いたような口からはみ出た乱杭歯がテオンのブロードソードの刃をがっちり噛み込んでいた。
 どろりと濁った赤黄色の瞳がテオンを睨む。
「難敵と言ってやりてえが、残念ながら、このテオンさまにゃ相手不足だな」
 呟きながら、テオンが手に持った剣を力任せにこじった。怪物の剛力に逆らって、刃を捻る。
 ブロードソードへと加えられる力のベクトルが九十度変わった。
 テオンの両肩の筋肉が小山のごとく盛り上がった。
 再度、静から動へ!
「どっせいっ!」
 どばしッ!
 転瞬、鋭利な鋼の刃は口蓋から頭頂まで、鮫虎の頭蓋を逆袈裟に断ち割っていた。尖った頭部が宙に舞ったと思う間もなく、異形の怪物は呪符の吹雪へと変化している。
「一匹目っ!」
 テオンの宣言と同時に、次の怪物が跳躍した。
 ざしっ!
 剛腕に操られた刃が翻る間さえ見せず、その鮫虎を串差しにする。
「二匹目っ!」
 しかし、三匹目を屠ったのはテオンではなかった。
「テオン! 後ろっ!」
 声にテオンが背後を振り返ったとき、彼がそこに見たのは呪矢を浴びて火だるまになった怪物だった。単独で突出し過ぎたテオンのバックを取ろうとし、魔法の直撃を受けたのだ。
「あんまり調子に乗ってると、痛い目に遭うわよ」
 呪光をまとった掌をかざしているメイエの忠告に、テオンは渋い顔をした。
「んなこたー言われなくてもわかってるって」
 彼は腹立ちまぎれに鮫頭の怪物を続けざまに三匹、唐竹割りにした。
*
 テルナ姫は闇の中に凝然とたたずんでいた。
 天井近くの石壁から細く差し込んでくる月光以外に何もない石牢である。
 ここに幽閉されてまる三日経つが、彼女は当初の毅然さをいまだ失っていなかった。
 と……。
 ふいに、石牢中央の何もない空間に“割れ目”が生じた。
 高度な魔法に制御された“時空間の裂け目”が二つの人影を吐き出す。
 石床に静かに降り立った人影の一つ、ロオナが言った。
「おや。お姫さまはまた食事に手をつけていないみたいだねえ。魔法使いどもの下賎な食い物など、自分の口には合わないってとこかい?」
 テルナは無言のまま、意志の強い瞳で揶揄に歪むロオナの顔を睨んだ。
 ロオナが大仰に肩をすくめて見せた。
「おお、恐い。日頃はおとなしい姫君を演じていても、やはりお前みたいな小娘にだって女の強情さはあんだねえ」
「逆らう手だてを持たないか弱き乙女をいたぶるのはいい趣味と言えんな」
 それまで黙っていたアラムが女闇術師を諌めようとする。
 ロオナが逆に表情を再度揶揄に染めて、アラムを振り返った。。
「おや。あんたの好みはあの女魔法戦士みたいな気の強い女かと思ってたら、こーゆーたおやかなタイプも好きだったんだねえ」
「……好きに言ってろ」
 低く吐き捨てるように言って、アラムはテルナに向き直った。
「実は、今日はお前にとって嬉しい知らせを持って来てやったのだ」
 ここで、アラムはわざとらしく間を置いた。
 テルナは無言のまま、彼の次の言葉を待つ。
「捕らわれの姫君であるお前を救い出すために、あの小憎らしいテオンとメイエとか言う女魔法戦士がこの“月蝕の塔”へとやって来たぞ」
「もっとも、この塔の最上階まで生きてたどり着ける保証はどこにもないけどね」
 茶々を入れたロオナを、テルナはまたも睨みつけた。宣言する。
「いいえ。二人は必ずやって来ます。そして、あなた方の企みをきっと打ち破るでしょう」
「そうかいそうかい」
 ロオナがまたもからかってやろうと口を開きかけたとき、
「そうだな。あの二人にはちゃんとここまでたどり着いてもらわねばなるまいて」
 低い声が会話に割り込んだ。
 テルナが弾かれたように、声の方向を振り返った。
 そこでは、ちょうど時空の裂け目が“第三の人物”を吐き出したところだった。
「あ、あなたは……」
「何しろあの二人は大切な“水龍の宝珠”の運び屋なのだからな」
 “第三の人物”は絶句したテルナを無視して、にたりと笑った。
 顎に蓄えられた美髭が月光にきらりと光った。
 その瞬間、テルナは気がついた。
 天井近くの隙間から差し込んだ青白い月光がその“第三の人物”の影を背後の壁に映し出していることに。
 そして、そのシルエットが決して人間のそれではないことに……。
 テルナの唇から息が漏れた。
「そ……そんな……。あなたはいったい……」
*
「三十二匹目かあっ!」
 三つの頭を持った大蛇が胴体を両断され、呪符に変わった。
「だあ〜っ。体力自慢のテオンさまも、さすがにだるくなってきたぞ」
 言いながら、巨大なブロードソードを肩に背負うテオンは息一つ切らしていない。
「正確に言うと三十一匹目だったんだけど、ま、あなたには難しい計算は無理でしょうから、許してあげましょうか」
 後ろをてろてろついてくるメイエを、テオンが振り返った。怒鳴る。
「おめーとゆーやつはーっ! さっきからなーんもしてねーで、でけー顔をするんぢゃねーよ」
「あら、ほんとに遊んでいるように見える?」
 無邪気に首を傾げてみせるメイエに、テオンは鼻白んだ。
「んじゃ、何してるっつーんだよ?」
 何やら子供扱いされたようでぶすっとしているテオンに、メイエは微笑んだ。説明してやる。
「あなた、気づいてないの? さっきからあたしたち、このまっすぐな通路を三百リラーイ(約五百二十メートル)近く進んでんだけど?」
「それが?」
 テオンがまるでわかっていない顔を作る。
 メイエは立ちくらみを覚えて、こめかみに指をやった。
「……あなたってば、『もうそろそろ塔の向かい側の外壁にぶち当たってもいい頃だ』とか思わないわけね」
「あ……」
 テオンは偉ぶった分だけ、よけいに間抜けな表情をさらしてしまった。
「……魔法か」
「大ピンポン」
 にっこり笑いながら、メイエが右手を石造りの壁に押し当てた。手首に刺青された紋章が魔法の光を放つ。
「魔法戦士相手にこの程度の閉鎖循環結界なんて、舐められたもんよね!」
 その瞬間。
 ぱきィィィん!
 鏡に石をぶつけたように空間が割れた。
 金属質の残響が耳に残る。
 テオンは唐突に、まっすぐに見えた通路が終わっていることに気がついた。今にもぶち当たりそうな石壁が眼前に立ちふさがっている。永遠に続くかとも思われた通路は、実は行き止まりになっていたのだ。
 一方、メイエの前には上の階へと通じる階段がぽっかりと口を開けていた。
「どう? これでも、遊んでる?」
 メイエが再度愛らしく首を傾げる。
「……すげえな」
 テオンは珍しく素直に感嘆した。
 最後に、要らないことを言う。
「まるで、ほんまもんの魔法使いみてーじゃねーか」
 げしっ!
 感嘆はケリをもって報いられた。


前へ もくじへ 次へ