失 意

- disappointment -

今より悪い状況はいくらでもある。

--- 聖真教導教の教典“ユージン師の福音書”より
「踊らされた……ってとこだな」
 テオンが憮然とした顔で言う。
「……ええ」
 メイエがうなずいた。彼女は暗い表情ながらも、唇から低い呪唱を漏らしてテオンの傷を治癒している。
 オル・ラハート王宮の広間には、疲労と倦怠の気配が濃く漂っていた。深夜だと言うのに急遽集められた一同の表情は一様に暗い。
「それ見たことか。結局あの者たちは何の役にも立たなかったではないか。だから、わしは連中のような他所者を王宮に入れることに反対したのだ」
 護衛隊長のマグバードが得意げに言う声を聞いて、テオンが彼を振り返った。罵倒する。
「うるせえ。俺たちが居なけりゃ、お前らはあの女魔法使いが操る合成獣(キメラ)に蹴散らされて、百年も昔にお姫さまをさらわれちまってるよ」
「きさま、なんだとっ」
 色めき立つマグバードの勢いを、メイエの叫びが遮った。
「二人ともやめさないよ。今はくだらない言い争いをしている場合じゃないでしょ! それも王様の御前で」
「う……」
 その剣幕の激しさに、今にもつかみかからんばかりだったテオンとマグバードは気まずい表情になった。二人は申し合わせたように広間の上座にある玉座を振り返った。
 宝玉と貴金属で飾られた豪華な玉座に座っていたのは古い由緒ある王家の当主ではなく、娘の身を案じる一人の父親に過ぎなかった。
「イズラナク王、今回の失態はまことに申し訳なく存じます。わたしたちは何としてもお姫さまを……」
 メイエが王に慰めの言葉をかけようとした、そのとき。
 ぎゃあッ!
 癇にさわる甲高い鳴き声が広間の空気を裂いた。明かり取りの窓から真っ黒な塊が飛び込んでくる。
 それは一羽の烏だった。
「な……、こいつはなんだ? こんなものを謁見の間に入れてしまうとは……」
「待ってっ!」
 剛腕をふるってそいつを追い払おうとしたマグバードをメイエが止めた。彼女は烏の額に埋め込まれた紅玉石に気がついたのだ。
 と。
『おほほほ。威勢のいい傭兵のお兄さんを筆頭に、お揃いのみなさん元気がないみたいだねえ』
 瞳に邪悪な知性の光をたたえた怪鳥が笑い声を上げた。驚いたことにその声は不自然なものではなく、魔法使いロオナ・ハシファイのそれそのものだった。
「使い魔……か」
 テオンが低くうめく。
 その間にも烏は床の上をひょこひょこと飛び跳ねて、イズラナク王の前へと進んでいた。ガラスに似た瞳で傲岸に王を見る。
『オル・ラハート王、イズラナク・オル・ゴート。あんたが一番落ち込んでいるようだね』
 その声に、王はうつ向いていた顔をゆらりと上げた。問う。
「魔法使いよ。そなたはわしから最愛の一人娘を奪っておきながら、この上何を要求しようと言うのだ?」
『なに、簡単なことだわ』
 烏はまるで人間が口の端をそうするように、器用にくちばしの端を歪めて見せた。
『お姫さまの命と引き換えに、《水龍の宝珠》を渡してもらう』
「な……!」
 十分予想されていたこととは言え、何気なく出たその言葉と同時に、広間に居合わせた人々の間に動揺が走った。
『三日以内に、宝珠を《月蝕の塔》まで持ってきてもらおうかしらね。そうすれば、テルナ姫を無事に返してやってもいいわ』
 ロオナの傍若無人な言いざまに、マグバードの堪忍袋の緒が音を立てて切れた。彼は腰に佩いていた段平を引き抜いて振りかぶった。
「おのれっ! 我が君の御前でなんたる無礼!」
 鋼の刃が一閃し、使い烏の首が朱の軌跡を描いて宙に舞った。
 しかし。
『おほほ。待ってるわ』
 それはくるくると回転しながら、ロオナの笑い声を発し続けていた。そして、床の上に落下してからようやく静かになった。
 ……ぱさり。
 床に落ちたとき、烏の首は鳥の絵を描いたただの紙切れに変わっていた。
「バカが興奮しやがって。わざわざ大仰に剣を抜くほどのことか」
 低く捨て台詞を漏らしたテオンを、マグバードが剣を下げたまま、きっとにらみつけた。
「なんなら、きさまも剣の錆にしてやろうか?」
「内輪もめはやめなさいってのに!」
 メイエが二人を一喝し、イズラナク王を振り返った。
「王さま。魔法使いの要求、いかがなさいます?」
 数拍の沈黙をおいて、王は沈痛な表情で言った。
「……姫の命は大切である。しかし、《命の泉》を法護する《水龍の宝珠》はこのオアシス都市オル・ラハートに暮らすすべての人々の命に等しい。……テルナ姫ひとりと宝珠を交換することはできない……」
 それは血の滲むような一言だった。
 再び、広間に石のような沈黙が落ちた。
*
 二日目になっても、事態をどう打開するか解決策は決まっていなかった。オル・ラハート王宮には、いらだち、諦観、混乱、悲嘆、様々な空気が混然一体となって満ちていた。
「隊長。わたしたちはいったいどうすればいいんですか?」
 警備隊詰め所で部下にこう言い寄られ、オンジアス・マグバードは怒りを爆発させた。
「ばかものっ! そんなことくらい自分たちで考えろっ! そんなことだから、わけのわからん他所者に王宮内ででかい顔をされ、あまつさえ姫さまをさらわれてしまったりするのだ!」
 マグバードはこめかみの血管がぶち切れてしまうのではないかと部下の方が心配するほど興奮してまくし立てた。
「しかしですね。魔法使いたちが立てこもった《月蝕の塔》には恐ろしい魔物たちがうじゃうじゃ潜んでいるという話ではありませんか。とても我らではお姫さまを救出するなんて……」
「ええーいっ! すぐ横でぐちゃぐちゃ文句をたれるんじゃないっ。酒がまずくなるわ!」
 マグバードは手にした杯の中身をがばあっと自分の喉の中に放り込んだ。
 もう何杯目になるかわからない次を注ごうとテーブルの酒瓶に手を伸ばす。しかし、手にした瓶を傾けても何も出てこないのに気づいて、彼は瓶の口をのぞき込んだ。
「くそっ! 酒まで切れてやがる。誰か、火酒を持ってこい!」
 上司の傍若無人の言いざまに、部下の警備隊員は困惑の表情を見せた。
「それが……。ここしばらくロドース卿からの差し入れもありませんし、火酒は一本も……」
「卿も自宅の部屋で嘆いておられるのだろう。この際、麦酒でも何でもいいっ! とにかく酒だ!」
 マグバードは怪しげな怪気炎をあげ続けた。
*
 そんな、本来王宮が持つべき機能がすっかり混乱してしまった二日目の夜更け……。
 王宮最奥部、奥宮の廊下を足音もなく移動する一つの影があった。
 影は完全に気配を殺して、物陰から物陰へと移動していった。
 ほどなく達したのは頑丈な扉で護られた宝物殿の前である。
 影は扉近くの物陰にしびれが切れるほど潜み続け、周囲から完全に人の気配がなくなるのを待った。
 しつこいほど安全を確認してから、影はようやく扉の前に立った。
 懐から鍵を取り出す。
 しかし、この扉には機械機構以外に魔法的な封印も施されていた。生半可なことでは開かないはずである。
 にも関わらず、影は宝物殿の扉を開けることに成功した。
 身の丈の三倍以上は高さのある巨大な扉を必要最低限だけ開き、隙間から身体を滑り込ませる。その素早い動きには、宝物殿近くにいた誰も気がつかなかった。
 宝物殿の中は闇に塗り潰されていた。
 抑えている足音の反響の具合から、天井が異様に高いことだけはわかる。
 影はほとんど手探りで奥へと進んでいった。
 と。
 ある地点を過ぎてから、急に空気の匂いが変わった。
 蔵の類に多いほこり臭い匂いがなくなったのである。
 代わりに、空気に微かな芳香が混じっていた。
「……」
 影は前進を続けた。
 唐突に、影の前方に光が現れた。
 熱を感じさせない青い光が床に青くたまっていた。
 さらさらというせせらぎの音が聞こえた。
「……命の泉(スパン・レヴ・レクサリオ)……」
 影の唇からその名が漏れた。
 宝物殿の中央には、直径五リラーイ(約八・七メートル)ほどの泉が湧き出していたのである。泉の水はまるでそれ自身が光を発するようにきらきら輝いていた。
 影は泉の中央に目を凝らした。
 水の中に、本当に光を発しているものが沈んでいた。
 影は刺すように冷たい水に膝まで浸かり、水の中からそれを拾い上げた。
 掌の上で、それは生きているかのように淡く光を明滅させた。
 直径半リック(約十センチ)ほどの透明な珠。それが発光体の正体だった。
「それが噂の《水龍の宝珠》なのかい? メイエ」
 突然の声に、影……メイエは弾かれたように背後を振り返った。
「んな怖い顔するこたあねえだろ。暗いとこに二人っきりだからって、えっちなこたあすりゃしねえよ」
 泉のほとりに立って、テオンがいつものへらへら笑いを浮かべていた。
 メイエが硬い表情のまま言った。
「……邪魔はさせないわよ」
「邪魔って、何の?」
 テオンが浮薄な質問を返す。
 メイエはテオンの真意を図るように、その不真面目そうな顔を見つめた。
「あたしはもう二度も過ちを犯したわ。町中でのことと、今回のことと。でも、三回目のミスは絶対に許されない。今度は、あたしが絶対にお姫さまを助け出すの!」
「それがどーした」
 テオンの笑みはいつの間にかその質を浮薄から不遜不敵へと変じていた。
「俺なんざ“今まで一度もミスったことがない”っつーのが傭兵としての誇りだったんだぜ? その俺の大事なセールス・ポイントを台無しにしないでくれよ」
「それじゃ……」
 表情を和らげたメイエに、テオンは片目をつぶってみせた。
「ああ、そうだ。その《水龍の宝珠》をおとりに、おまいと俺、二人でお姫さまを救い出す!」


前へ もくじへ 次へ