誘 拐

- Napping -

敵を愛せ。味方を疑え。

--- ハオマ・ガウ・ドライ“生きてゆくための七箇条”より
 ぎぃぃぃぃんっ!
 月下に、鋼と鋼がぶつかり合う音が響いた。
「な、何ィっ!」
 その状況にはさしものテオンも思わず瞠目せずにはいられなかった。
 ほとんど人一人分の重さがあろうかというブロードソードの一撃を、アラムはなんと、右腕一本の素手で受け止めたのである。
「くだらんな。わたしはそう何度もやられてやるほど気前は良くないぞ」
 低く呟くと、アラムは頭上に迫ったブロードソードの刃を軽く右にひねった。
 一気にテオンとの間合いを詰める。
「ほれ、お返しだ」
 腕ごとくるりと一回転してブロードソードから離れたアラムの右拳がテオンの右顔面に入った。
 ごッ!
 鈍い音が響いた。
 それは肉と肉がぶつかり合う音ではなかった。もっとずっと低い。
 手の甲側から逆サイド気味に入ったにも関わらず、一イクサス五十クルオス(九十七・五キログラム)近いと思われるテオンの巨体がふっとんだ。
「ぐはッ!」
「て、テオンっ!」
 予想外の展開に、メイエの顔色が変わる。
 無様に顔面から地面に叩きつけられたテオンはそれでも機敏に起き上がった。
 しかし、一撃で顔の半面が紫色に変わっている。
 さすがにそこからは笑みが消えていた。
「……のやろお。その腕はなんだよ?」
 代わりに、という訳でもないだろうが、アラムが唇の端に笑みと思われるものをつくった。
「覚えていないか? お前が斬り飛ばした腕だぞ?」
 言いながら、アラムは腕をテオンの方へかざしてみせた。
 月光を弾いて、それが鈍く輝いた。
 アラムの右腕は肘から先が鋼鉄になっていた。しかも、明らかに鋳造とわかる無垢の鉄の棒である。
 にも関わらず、その腕の先にくっついた手首では、からくり仕掛の指が生きているかのごとくわさわさと蠢いていた。剃刀のような鋭利な鋼の爪が月光に冷たく光っている。
 アラムの右腕は全体が剣呑な凶器そのものなのだった。
「お前がご丁寧に切断面を炎で灼いてくれたおかげで、再生することもできなかったのでな。こんな腕では、貴様の素っ首を掻き切るくらいの役にしか立たんわ」
 捨てぜりふとともに、銀光の尾を引いて長い爪が閃いた。
 半拍も置かず、テオンの着衣がずたずたになった。全身から真っ赤な血が吹き出す。
「うおおっ!」
 たまらず、テオンは片膝をついた。
「テオン!」
 思わず駆け寄ろうとするメイエを、テオンは手振りで押し止めた。
「こっちに来るんじゃねえっ。ナントカに刃物のたとえ通り、こいつは今とっても危ねーんだからよ」
 言いながら、ブロードソードを構え直す。
「それに、俺だっていつまでもやられっ放しで済ますつもりはねえ」
 それから、テオンは果敢に反撃を開始した。
 一方、メイエの方もテオンに気を遣う余裕を失くしていた。
 メイエの行動を見て、静観にまわっていたロオナが動きを見せたのである。
「ほらほら、何をよそ見してんだい。お前の相手はこのわたしだよ。お前には、わたしの可愛い人狼が貸しをつくっているんだからね」
 妖艶と形容するに足る笑みを浮かべながら、ロオナはどこからともなく何枚かの呪符を取り出した。
 そして、ロオナの白い指を離れた呪符はたちまちのうちに三次元的な厚みを得て、奇怪な呪獣へと変化した。
「さあ、わたしの可愛い下僕たち。あの女をずたずたに切り裂いておやり!」
 トカゲの頭を持つ犬や、二足歩行する醜悪な豚たちが猛然とメイエに襲いかかった。
「冗談じゃない。あたしだって、黙ってずたずたにされるつもりはないわっ!」
 すっ……と腰を落としたメイエのマントの陰から銀光が鞘走った。
「うぎ?」
 不審を感じたトカゲ犬が動きをとめた。
 と、ぽろりとその首が落ちる。
「うぎあ!」
 魔法の力を失ったそいつはたちまち元の呪符に戻って霧散した。
 しかし、魔物たちには死の恐怖を身近に感じるだけの知能が与えられていなかった。
 ほかの魔獣たちが再度メイエに襲いかかった。
「もうっ! うざったいわねっ」
 二度三度、メイエのエンチャンテッド・ブレードが閃いた。
 しかし、メイエが倒す魔獣の数よりも、ロオナが生み出すそれの数の方が上回っていた。しばしの均衡の後、メイエは魔物たちの勢いに押されて、じりじりと後退せざるを得なくなった。
「こんなこっちゃ、らちが開きそうにないわね」
 ブレードを大きく振って魔物たちとの間合いを大きくとると、メイエは手にしたそれを垂直に立てた。瞑目する。
 ぷっくりと形の良い唇から呪唱が漏れた。
「雷精よ。地母神ラ・ガイアの名において命ずる。汝、光の矢となりて我が敵を撃て!」
 同時に、メイエの両手首、足首に刺青された星型の紋章が輝いた。剣のつかにはめ込まれた小さな宝玉から光がほとばしった。
 呪矢(メルセノニオン・アロー)に直撃された魔物たちがたちまちのうちに燃え上がった。灰塵に帰す。
「なかなかにおやりだね。今宵は久しぶりに楽しめそうだよ」
 ロオナが嬉しそうに舌舐めずりしながら、新しい呪符を取り出した。
*
 王宮の空気が、深夜にも関わらず騒然としていた。
 警備の衛士たちが廊下を走る具足の音が響き、互いに誰何の声が交錯する。
「西の庭だ!」
「魔法使いが現れたらしい」
「隊長はどこだ?」
「例の二人組が防いでいるらしいぞ」
「勝手に持ち場を離れるな!」
 その気配は王宮の最深部、奥宮にも入り込み、寝室で休むテルナ姫の安眠をも破った。
「……こんな夜更けに何事です?」
 寝台の上に起き上がったテルナは手探りでガウンを手にとった。それを夜着の上に羽織り、裸足で床に降りる。
「誰か? 誰か居ないの?」
 控えの間に居るはずの侍女たちも外の気配に気を取られているのか、返事がない。
 テルナは突然、闇の中に自分がただ一人取り残されていることを感じた。うすら寒そうにガウンの衿をかき寄せる。
「誰か? メイエ、メイエは居ないの?」
 テルナの声が不安にか細く震えたとき。
「ご心配には及びません。姫君」
 闇の中から、低い声が響いた。
「きゃっ!」
 その予想外の近さに、テルナは飛び上がるほど驚いた。
「そ、そこに居るのは誰ですっ?」
 誰何の声に応えて、闇の中にうずくまった影が顔を上げた。
「わたくしめにございます。テルナ姫」
「ろ、ロドース卿……? ど、どうしてあなたがこんなところに居るのですか?」
「昨今王宮周辺は物騒でございますので、わたくし、夜もずっと奥宮に詰めておりましてな。ほんに物騒で、困ったことにございます……」
 闇の中でにやにや笑う公卿ロドース・エンズコーウェルの瞳が淡く微光を発していた。
*
「きゃーっ! 姫さまっ!」
 奥宮から響いてくる侍女の悲鳴で、テオンとメイエの二人はようやく自分たちの失態に気づいた。
「な……、何事だ?」
「まさか……」
 二人の顔色が変わるのを見て、ロオナがにやりとほくそ笑んだ。
「おほほほ。どうやら、万事うまくことが運んだようね」
「く、くそっ!」
 その嘲笑に言い返す言葉が見つからず、テオンは唇を噛んだ。
「お前ら、まさか自分たち自身をおとりに使うなんてとんでもねえことを……」
「引っかかったお前たちの方が愚かだということだな」
 右半面が醜く引きつれた顔を喜色に歪めて、アラムが哄笑した。
「せいぜい自分の愚かさを悔やむがいい」
 言い放ちながら、アラムは左手一本で結印した。低く呪唱する。
「常闇の底を治めたる魔王ナルヅオンよ。死と極寒を司る妖魔の王よ。汝が使徒の請いに応え給え!」
 とたん、夜とはいえ砂漠気候とは信じられない刺すような冷気が周囲に満ちた。
 急激な温度変化に、濃い霧が発生する。
「待てっ! てめえら、逃げるのかっ!」
 霧の幕の向こうに亜空間の扉が開くのが見えた気がして、テオンは叫んだ。
 白い闇の向こうで、二人の闇術師が哄笑する声が聞こえた。
「おほほ。逃げるのではないわ。用が済んだから、帰るだけよ」
「オル・ラハート王女テルナ・オル・ゴート、確かに預かったぞ。わははは」
 魔法使いたちの気配が消えると同時に、霧もたちまち薄まっていった。
 すぐに、満天の星空が戻ってくる。
 空虚な庭の真ん中に、ぎりぎりと奥歯を噛みしめたテオンが一人ただ立ち尽くしていた。
 侍女の悲鳴を聞いて、すぐに奥宮にぶっとんでいったメイエがとぼとぼ帰ってくる。
「……まんまとやられたわ。お姫さまの寝所は空っぽよ……」
「くそっ!」
 テオンは足元の地面に残った銀の短剣を思いっきり蹴り飛ばした。
 その下に封印されていた騒霊が砂を弾き飛ばして飛び出し、「ぎゃあっ!」と一声鳴いて星空へと飛んでいった。


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