真 夜 中 の 騒 乱

- Midnight Panic -

油断するなかれ。そは確かに闇中に存在したり。

--- ハオマ・ガウ・ドライ“生きてゆくための七箇条”より
「ねえねえねえ。今度奥宮に来た新しい警護官と会ったァ?」
「会った会った。あれでしょ? 体格の立派な、ちょっとかっこいい男のコ」
「“ちょっとかっこいい”ですってェ? どこがよぉ? 単なるスケベじゃないのお」
「そーよそーよ。わたし、胸に触られたのよ」
「わたしはお尻ぃ」
「まーたそんなこと言ってえ。『きゃっ。お尻、触られちゃった☆』なんちゃって喜んでたくせにィ」
「わたし、そんなことゆってないわよおっ」
「『今度はチチ揉んだろか?』とか言われてたっしょ」
「言われてないわよお。ひどいわねえ」
 小鳥よろしく娘たちがぴーちくぱーちく噂話に花を咲かせていた。
 昼間はおしとやかに宮廷女官を勤める彼女たちも、一皮剥けば騒がしい娘であることに違いはない。就寝前のひととき、彼女たちは昼間の虚飾を脱ぎ去り、こうやってくだらない話題で盛り上がることを楽しみにしていた。
 と、そんな彼女たちの寝床が並ぶ部屋の戸が予告もなしに開いた。
「ちょっとあんたたち。しょーもないことしゃべってダベってないで、さっさと寝ちゃいなさい。もう消灯時間過ぎてるでしょ」
 メイエである。
 歳は娘たちとほとんど違わないはずだが、口調は完全に年長者のそれだ。
 どうやら、夜の見回りに来たらしい。
「はーいっ」
 娘たちの少々不満げな一斉合唱を確認して、メイエは戸を閉めようとした。
 と、その動きが停まる。
 それから彼女は逆に、部屋の中へずかずかと入り込んできた。
「あのー、なんでしょうか?」
「あなたたちには直接関係ないわ。すぐに出てくから」
 怪訝そうな娘たちに無関心に答えると、メイエは部屋の隅にある寝台の前に立った。
 そこは予備の寝台で、使われることのない布団がうず高く積み上げられていた。
 腕を胸の前で組んだメイエはその布団の堆積に語りかけた。
「若い女の子の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、十分休養はとったでしょ。いい加減に出てきなさい」
 あきれ果てたように言うと、メイエは右腕をわしっ! と布団の山の中に突っ込んだ。
 一瞬遅れて……。
「いででででで……っ! そんなに力いっぱい引っ張るなよ。耳たぶが取れちまうじゃねーか」
 いったいどうやって隠れていたのだろうか。中からずるずる引きづり出されてきたのはなんと、驚いたことに先ほどまでの話題の人物、テオンだった。
 女の子たちが軒並みどんぐり眼になっている。
「あんたみたいなドすけべはいっぺん耳たぶの一つも取れちゃった方が世の中のためよ」
「おまい、ほんとムチャクチャ言うなァ。世の中の男ってなぁみーんな少なからずすけべにできてんだって」
「だから、あたしはオトコってイキモノが大っ嫌いなのよ」
 メイエはテオンの耳たぶをひっつかんだまま、部屋を出ていった。
 出がけに、思い出したように言う。
「あ、そーだ。ほんとに早く寝なさいよ。でないとまた、こーゆーバカが部屋に入り込んでくるからね」
「はーいっ!」
 今度こそ本当に、娘たちは超光速で自分たちの寝床へと飛び込んだ。
*
 だだっ広い廊下に、ぽつり、ぽつり、とランプの灯りがともっていた。
 昼間、人の姿があふれる風景だっただけに、闇の中に沈んだ寂寥が目だつ。
 そんな寂しい回廊を、テオンとメイエの二人が歩いていた。
 異様に細長い影がゆらゆらと二人の足元で揺れている。
 メイエはしみじみと自分のテオンに対する疑問を述べた。
「ほんと、あんたってばいったい何考えて生きてんのよ? そのおチープな脳ミソん中には女の子とえっちすることしかないわけ?」
「男の人生にそれ以上の意義があるってのか?」
 テオンの脳天気な答えに、メイエは頭がくらくらしてしまった。思わず立ち止まり、壁に手をつく。
「あんたって人は……。あたしってば、実はとんでもない奴に借りをつくっちゃったんじゃないかしら」
「俺ァ別におまいさんに貸しをつくった覚えはねえぜ」
 テオンのひょうひょうとした物言いを背中に受けて、メイエはがばっとテオンを振り返った。
「あたしだって本気であんたなんかに借りをつくった気はないわよっ! ちょっとばかり恩を売ったからって、あたしがあんたの言うなりになるなんて思わないでよねっ!」
「だから、なんなんだ、おまいは? 自分一人で勝手に落ち込んだり、怒り出したり……」
「乙女心はあんたみたいなドンカン男には理解できないくらいビミョーなのっ!」
 メイエは鼻の頭にしわをつくって、思いっ切りアッカンベーした。肩をいからして、ずんずん先に歩き出す。
「ほらっ。いくわよ。あんたのバカのおかげで要らない時間取られちゃったじゃない。このだだっ広い王宮には、まだ見回んなきゃいけないとこがいっぱいあるんですからねっ」
「だから、怒るなっつーの」
 テオンとメイエの二人は観客のいない夫婦漫才を演じながら、深夜の回廊を歩いていった。
*
「まったく気に入らんな!」
 王室警護隊長オンジアス・マグバードは吐き捨てるように言うと、手に持ったグラスの中身をぐぐーっと干した。唇の端からちょっとこぼれた火酒(レイキーラ)の滴を拳で拭う。
「そうは思いませんかな? ロドース卿」
 そこは王宮の表宮と奥宮をつなぐ要所を押さえる警護隊詰め所だった。
 ちょうど隊員たちは全員見回りに出払っているようで、人の姿は二人だけである。
 隊長のマグバードと、もう一人は王室暦司処(こよみつかさどころ)尚書、公卿ロドース・エンズコーウェルのようだ。
「テオンとかいう輩のことですかな? まあ、わしもそう思わないではないが、王が決められたことですからな」
 ロドース卿は低い声で答えると、自分もグラスの酒を干した。
 火酒はその名の通りアルコール度数の高い酒なのだが、顔色一つ変えていない。
「だいたい、最近このオル・ラハートにはロクなことが起こっておらん! 怪しげな闇術使いが町を跳梁跋扈し、この王宮でもどこの誰ともわからん流れ者が我がもの顔でのさばり歩いておるではないかっ」
 ロドース卿に比して、マグバードの顔はそれこそ火でも噴きそうなほど真っ赤である。
 元々砂漠気候のオル・ラハートでは、酒と言えばアルコール度数が低く清涼飲料水に近い麦酒が一般的で、火酒などほとんど口にすることはないのである。
 今宵は「夜が冷えるから」とロドース卿が差し入れてくれた火酒で怪気炎を上げているわけだ。
「そういう意味では、わしも『王宮を我がもの顔でのさばり歩いている流れ者』なのかも知れませんな。わしがイズラナク王にお仕え申したのは三年前からなのだから」
「何をおっしゃいます!」
 ロドース卿がぽつりと漏らした言葉をマグバードが聞きとがめた。
「オル・ラハート広しと言えど、ロドース卿を『他所者』などと呼んで蔑む者がおりましょうや。卿の《地の竜脈》を読む能力が優れたることは万人が認めたること。今や、卿の助言なくして、このオル・ラハートで耕作が成り立つことはありませんぞ」
「そう言っていただけるとありがたいですな」
 マグバードの威勢のいい言葉に、ロドース卿はほろ苦そうに微笑んだ。
 泥酔に近いマグバードはそのとき気がつかなかった。
 ロドース卿の瞳の奥で暗い光がちかり、と確かに瞬いたことに。
*
「しっかし、わかんねーよな」
「『わかんねーよな』って何が?」
 屋内の戸締まりを一通り点検して庭に出たメイエは後ろからのこのこついてくるテオンの言葉を聞きとがめて、そっちを振り返った。
 テオンが自分の疑問点を説明した。
「だってよォ、おまいもそー思わねえか? 誘拐ってなぁほんと割に合わねえ仕事なんだぜ? 成功させるために負わなきゃなんねえ危険に比べて、すべてうまくいって大儲けできる確率は呆れるほど低いんだ。よっぽど有利な条件でもない限り、賢い奴のやることじゃねえ」
「“有利な条件”って何よ?」
 メイエの素朴な疑問に、テオンはわざと一呼吸答えを置いた。
「例えば、例の町中での騒ぎだ。連中はどうしておまいとお姫さまがあんなとこに居ることを知ってたんだ? まさか、街に買い物に出かけたら偶然出会った、なんて言うまい?」
「まさかあんた、この王宮に内通者でも居ると……」
 メイエがここまで言ったとき、テオンが手まねでメイエの言葉を遮った。
「?」
 メイエが目で問い返すのに答えず、彼は腰の後ろから短剣を引き抜いた。
 今は背中にブロードソードを背負っているので、これはスペアの武器である。
 振り向きざま、テオンはその短剣を庭の繁みの中に思いっ切り投げ込んだ。
「そんなとこにこそこそ隠れてないで、出てきやがれっ! この泥棒猫っ!」
 テオンの叫びと同時に繁みの中から飛び出してきた影は『泥棒猫』と呼ぶには少々大きすぎた。そいつは人間の大人ほどの大きさがある黒豹だったのである。
 豹は獣らしからぬ知性を銀色の瞳にほの見せ、テオンとメイエの二人を睨みつけた。鋭利な牙が光り、喉の奥から低いうなりが漏れる。
 テオンはその、常人ならすくみ上がってしまうであろう威嚇を鼻で笑い飛ばした。
「これから俺とこの娘は嬉し恥ずかしの濡れ場だっつーのに、そんなとこからデバガメすんなよな」
「いったい誰と誰が『嬉し恥ずかしの濡れ場』を演じるのよっ!」
 メイエが真っ赤になって、叫んだ。
 その瞬間、豹の両肩の肉がまるで口でも開くようにぱっくりと開いた。
 赤黒い筋肉組織の奥で、明らかに人工のものとわかるクリスタルがきらきら輝いているのが見えた。
「危ないっ!」
 とっさに、メイエは自分の身体を包んだマントを翻していた。
 同時に、豹の両肩から閃光が疾った。
 周囲は一瞬、暴力的な光の洪水に満たされた。
 風景がハレーションを起こした。
 遅れて、鈍い爆発音が追っかけてくる。
「っぷはっ!」
 爆風が通り過ぎるのを待って、テオンが狭いマントの陰から顔を出した。
「えほっ! こほこほっ!」
 すぐ隣りでメイエがせき込んでいる。
 テオンが肩先のブロードソードに手をやって爆煙に霞む周囲を見回したが、黒豹の姿はすでに消えていた。
「くっそ。とんづらこきやがったか」
 吐き捨てるように言うと、テオンはメイエを振り返った。
「おかげで助かったぜ。おまいさんの方は怪我ないか?」
 実は、メイエがとっさの判断で、テオンを自分と一緒に自分のマントの中に包み込んだのだった。裏に呪的な紋様が描き込まれたメイエのマントには、耐熱耐爆性の抗魔法処理が施されていた。
「別に怪我はしてないけど……」
 顔を伏せていたメイエがくわっ! と目を見開いた。
「騒ぎにまぎれて、あたしの乳を揉むのはやめてよねっ!」
 ごいんっ!
 メイエの鉄拳がテオンの後頭部に炸裂した。
 騒ぎを聞きつけて、警備の兵士たちがおっとり刀で駆けつけてくる気配が聞こえていた。


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