宝 珠

- Terna -

見よ。宝珠はお前の目の前にある。

--- マウラ教の聖典“ナルガ”より
 《風の里標》亭は女主人のソーダイラ婆さんが言う通りの安宿だった。
 店のある《子持ちのネズミ》通りはオル・ラハート市街でも一番北にあり、一日中町を取り囲む城壁の日陰になってしまうようなロケーションである。狭い路地には陰鬱な雰囲気が漂っている。
 だが、日干し煉瓦造りで半地下式になった婆さんの店は異邦人であるテオンに奇妙な安堵感を与えた。店は半分地面に埋まった格好になっており、入り口から階段を降りると、狭い食堂と奥に三つばかりの泊まり部屋があるきりである。
「店は小汚いが、飯はそれなりにいけるな」
 すっかり腰を落ち着けてしまったテオンは食堂のテーブルでばくばくと遅い夕食を取っているところだった。
「なんか知らんが、このソーセージみたいなのは辛くていいぞ。これで冷えた泡酒でもあれば最高なんだがな」
 彼は食卓に出された料理を先割れスプーンの先端に刺して、グルメよろしく含蓄を垂れた。《大陸》でも東方から中原にかけての食習慣は手掴みが常識なのだが、テオンはいつも愛用のスプーンを持ち歩いているのだ。
「ああ、それかい。そりゃあんた、砂蟲だよ」
 厨房から手を拭きながら出てきた婆さんの言葉に、テオンは目を剥いた。
「砂蟲だって? それってあの、砂漠を歩いてると肌をちくちく刺してくる、脚がうじゃうじゃある気持ち悪いアレかい?」
「ほかにどんな砂蟲がいるってんだい。そりゃ砂蟲の皮を剥いで、腸にスパイスを詰めて焼いた“パガラット”って料理だよ。このオル・ラハートの名物なんだがね」
「げろげろ〜。俺ァあんな気持ち悪い蟲を食べちまったのか」
 出した当人の婆さんはしれっとしたものだったが、出されたテオンの方はげんなりした表情である。
「なんか食欲がなくなっちまった。これ、下げてくれ。ほかに食えるもんはねーのかい?」
「そーだねー。今日はカウメルの胎児のいいのがあるけど、こいつを蒸したのはどうだい? こりこりしてて、慣れりゃ癖になるよ」
 『グッドアイディアだろ?』と得意そうな婆さんの表情に、テオンは頭を抱えた。
「……も、いいよ。飯はほかの店で食ってくるから」
 テオンはのろのろと重い腰を上げた。
「おや、そうかい? 砂トカゲを漬け込んだ酒も出そうかと思ってたんだけどねぇ」
 ソーダイラ婆さんは残念そうである。
 テオンは思考停止状態のまま、傍らの剣立てに立てかけてあったブロードソードを手に取って、店の出口へと向かった。
 と、その背中へ婆さんが声をかける。
「飯を食いに外に出るのは構わないけどあんた、その大仰な剣は置いていった方がいいよ。最近は町中を我がもの顔で歩き回ってる兵隊たちが小うるさいからね」
「夜回りがそんなにきびしいのかよ。この町は自由交易都市のはずだろ? 人の出入りにうるさい門番といい、わがもの顔の夜回りの兵隊といい、なんかあったのか?」
「そう、“なんか”あるんだよ」
 テオンの疑問の言葉に、婆さんは眉をひそめて答えた。
「このオル・ラハートから日が沈む方角へ五リディ(約三十五キロメートル)も行ったところにエキュヴァ・ノウンって名前の遺跡があるんだ。何百年も前から人っこ一人居なくなっちまって、石塔がひとつ残ってるだけの廃墟なんだがね。最近、その“月蝕の塔(テウル・レヴ・ノウン)”にたちの悪い魔法使いが住み着いちまったんだ」
「たちの悪い魔法使いだって?」
 テオンは婆さんの説明に俄然興味をそそられ、テーブルに戻ってきた。
「それで?」
 続きの話を促す。
「この町にもご他聞に漏れず盗賊匠合があるんだが、そいつらがまんまとはめられて稼ぎの上前をはねられちまっただとか、町一番の豪商で鳴らしたナグラさんとこの金倉が一晩で空っぽにさせられちまっただとか、物騒な噂が絶えないんだよ」
「小なりと言えどもこの規模の町をまとめる盗賊匠合だろ? そいつをたばかるっつったら、かなり高位の年寄り魔法使いか、禁を破って大人数で徒党を組んでるかのどっちかなんだろうな」
「いや、若い男女二人組だって話だよ」
「え?」
 腕を組んで深刻ぶっていたテオンは婆さんの言葉に、コケそーになった。
「だって、金持ちの金倉を一晩で空っぽにしちまったって言ったじゃないか。それじゃ、いったいどうやって……」
「女の方が使い魔を使うって噂だぁね」
「なるほど。妖獣使いか、死霊使いか、どっちにしろ確かにたちの悪い相手だな」
「だろ? そんな事情なもので、王様が町への人の出入りや、見回りを厳しくするようにお達しを出してるんだよ。王宮のお宝でも盗られた日にゃあ大騒ぎどころじゃすまないからねぇ」
「その王宮のお宝ってのは何なんだい?」
 テオンの何気ない質問に、婆さんは『これは珍しいものを見た』とでも言いたそうな顔を作った。
「あんた知らないのかい? オル・ゴート王家に古くから伝わる秘宝のことを」
 テオンが『それは心外だ』ってな表情で口を尖らせた。
「最初に東に行くときはティタール海の北回り航路を使ったんだ。俺はマトレイト周辺の事情には疎いんだよ」
「やれやれ。難儀なことだねぇ」
 それから、婆さんがたっぷり半モリム(一モリムは一時間二十五分)あまりもかけてテオンに説明したことを要約するとこうである。
 オル・ラハート王家オル・ゴート一族の最初の王は名をカルメイネンと言った。元々はマウラ教圏マウテギオン法国の中流貴族だったと言う。
 故郷で政敵の卑劣な罠にはまった彼は遥か異邦である《大陸》中原へと落ち延びた。彼は己れの運命を玩んだマウラの絶対神を恨み、政敵を恨みながらマトレイト砂漠の直中を何日もさまよった。
 そして、手持ちの水筒に残った水があと一口しかないという状況になったとき、彼は一人の少女と出会った。土着の砂漠の民ではないかと思われるその少女は白い砂漠の真ん中に、まるで蜃気楼のように一人で倒れていた。
 己れの運命を諦観したカルメイネンは最後の水をぐったりした少女の唇に与えた。
 奇蹟はそのとき起こった。
 実は、少女は現象界のすべてを司る“四元(フトウル)”のうち“水の元素(オルヴァトム)”を象徴する精霊生物・水龍(オルドラゴン)の化身だったのだ。“火の元素(レイキヴァトム)”の精霊生物・渇砂龍(ライドラゴン)と戦ってかろうじて相手を屠った彼女はまた自分自身も死と対面しようとしているところだった。
 が、彼女は救われた。カルメイネンが彼女に与えた一口の水が彼女の霊力を蘇らせたのである。
 水龍としての本来の姿を顕現した彼女は命の恩人カルメイネンに謝礼を申し出た。そして、それこそが今もオル・ゴート王家に伝わる秘宝“水龍の宝珠(テルナ・シド・オルドラゴン)”だった。
 “水龍の宝珠”には“水の竜脈(オル・ドラゴンルード)”を操る力があった。竜脈(ドラゴンルード)とは、四元の精霊(ピルチュア)たちが作る霊力の流れである。水の竜脈が強く流れる場所には自然に水が集まり、泉が湧く。
 水が同じ重さの金よりも貴重といわれるマトレイトの地においては、水の竜脈を操ることはすなわちそこに暮らす人々の命を握るのと同意だった。かくして、オル・ゴート(“水を捧げる者”の意)と姓を改めたカルメイネンは砂漠の王となった。ちなみに王国の名オル・ラハートとはそのものズバリ“水のあふれる場所”を意味する。
「今でも王宮にある“命の泉(スパン・レヴ・レクサリオ)”が渇れないのはすべて“水龍の宝珠”の加護のおかげさね」
「なるほど」
「今の王様の一人娘もテルナ姫さまと言ってね。十六歳になられたばかりだけれど、それは聡明で美しいお姫さまでねぇ。この二つの“テルナ”がオル・ラハートの至宝なんだよ」
 とくとくと語る婆さんの目の前で、テオンはやーらしー笑顔を浮かべた。
「宝珠の方は置いとくとして、俺としてはもう一つのテルナが気になるな」
「何馬鹿なこと言ってんだよ、ばちあたりな。テルナ姫さまはお前さんみたいなよそ者には手も届かない高貴なお方だよ。ひょっとしたらお前さんは例の魔法使い二人組よりたちの悪い奴なのかも知れないね」
「ははは。違いない」
 笑いながらテオンは再び腰を上げた。
「さて、と。飯食いに出るつもりがすっかり腰を落ち着けちまったな。年寄りの意見を入れて、小剣を腰に差しておくだけにしよう」
「やっぱり食事はほかの店で取るのかい?」
「ああ。食事以外にも、しばらくありついてないものがあるんでね」
 テオンの顔に浮かんだ色を見て、婆さんは頭を抱えた。
「あー、やだやだ。これだから若い男は嫌いだよ。飯食うことと女と寝ることしか考えてないんだから」


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